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小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 - 1986年(昭和61年))は、日本の刑務官、行刑学者。 茨城県竜ケ崎生まれ。旧制静岡高等学校卒、1929年東京帝国大学経済学部卒、31年京都府警部補、32年司法省看守長、36年府中刑務所典獄補、38年滋賀刑務所長、40年司法事務官、42年司法書記官、48年法務庁成人矯正保護局長、49年関東地方成人矯正保護委員会委員長、54年関東医療少年院長、58年法務総合研究所第二部長、58年アジア極東犯罪防止研修所次長、65年「保護観察を基点とした保安処分」で東大法学博士。66年亜細亜大学法学部教授、70-75年法学部長、75年学校法人亜細亜学園理事、82年亜細亜大を定年退任。 ==著書== *『刑務所 そのよき運営のために』刑務協会、1948 *『更生保護法』一粒社 特別法学全書、1954 *『保護観察制度について』法務研修所 法務研究報告書、1954 *『刑事政策論』法政大学出版局、1962 *『自由刑の展開 保護観察を基点とした保安処分』一粒社、1964 *『刑事政策論講義』全3分冊 法政大学出版局、1967-75 *『刑事政策の新展開』立花書房、1984 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小川太郎 (行刑学者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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